読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ポップ2017

アニメやロマンノワール、映画などについてまとめていきます。

「謎の彼女X」~卜部美琴は俺の彼女だ~

 f:id:officeplaton:20130106043623j:plain

「謎の彼女X」2012年作品

 

原作:植芝理一講談社月刊アフタヌーン」連載)

監督:渡辺歩 シリーズ構成:赤尾でこ 総作画監督:金子志津枝

制作:フッズエンタテイメント

 

《失われた青春が、そこにある》

「謎の彼女X」は、平凡な高校2年生・椿明が謎めいた転校生・卜部美琴の「よだれ」をなめてしまったことから始まる恋愛物語です。

 

携帯電話もネットもなく、どこか懐かしさを感じる世界を舞台に、この奇妙なカップルは徐々に心を結び合わせていきます。「よだれ」で心が通じ合うというトリッキーな設定に、純愛ともいうべきストーリーをかぶせ、極度に圧縮された濃密な空間を作り上げています。

 

妄想でも想像でもない本物の恋愛、そして性愛へと踏み出そうとする思春期の若者が感じるであろう「もどかしさ」や「切なさ」を、ときにユーモラスに、ときにエロティックな仕掛けとともに描いた作品です。卜部美琴という空前絶後のヒロイン。彼女に翻弄される快感をじわじわ味わえる名作です。

 

 1.卜部美琴という「異物」

f:id:officeplaton:20130130064242j:plain

この物語は平凡な高校生である主人公の椿明の日常に、卜部美琴という異物が挿入される話です。お姉さんに弁当を作ってもらい、休み時間には友達とふざけるというありふれた日常が、卜部の登場によって彩りを変えていきます。卜部は転校生として登場します。むしろ転校生でなければならない。あらかじめ「変わった女の子」として周囲から認知されていてはいけない。卜部美琴という特殊な設定の女の子を知っていくことが、物語そのものになっている必要があるからです。上は第1話、卜部が椿の部屋に上がりこむシーン。このベッドへの座り方の不躾さが卜部の異物感を良く表していると思います。

 

椿が卜部美琴という女の子を知っていく過程は、日常に異物が入り込んでいく過程そのものです。視聴者は椿とともに、自分に異物が挿入される感覚を味わっていくことになります。卜部美琴を演じられた吉谷彩子さんの声は、まさに異物でした。今までのアニメ声優フォルダになかった声。彼女の声だけ、どこか違うところから聴こえてくるようでした。絶対に真っ当ではないこの物語にジャストフィットしていました。

 

2.椿明との一体化

f:id:officeplaton:20130130065058j:plain

「謎の彼女」と付き合うことになる主人公の椿明。これは彼の強い一人称語りの物語です。小説でいえば「僕は」で始まる。特に第1話第2話は意識的に椿視点でストーリーが展開します。「椿明が見たもの・聞いたもの・感じたこと」がそのまま画面と音声を通して視聴者に伝えられます。視聴者は椿と一体化して卜部美琴を体験することになります。

 

f:id:officeplaton:20130130065706j:plain

上は第2話より。椿明に向けられる卜部の指先は同時に視聴者に向けられています。私たちはこのとき、卜部美琴から、そしてこの作品そのものから「これを受け入れるか」と問いかけられています。卜部を受け入れ、この異物を挿入できるかどうかにこの作品の受容/非受容がかかっているわけです。

 

ここに巧妙な罠が仕掛けられています。この「よだれ」は「甘い」のです。異物を受け入れたらそれは快楽に変わる。しかも、「よだれ」は「絆」であると卜部は言います。よだれを受け入れたら、椿(=視聴者)は卜部美琴という美人の恋人を得ることができる。異物挿入を受け入れることが快楽であり、満足感を生む世界。倒錯的かつ、ある意味痛快な物語と受け取りました。

 

 3.絶対的勝者である卜部美琴

 f:id:officeplaton:20130130073205j:plain

 二人は物語の第1話から恋人として付き合い始めます。こういうストーリーは非常に珍しい。「恋に落ちる→心を通わせようと努力する→恋人になる→ハッピーエンド」という展開が普通のラブストーリーでしょう。『謎の彼女X』は付き合ってからの物語です。二人は徐々に恋人らしくなっていきます。その過程が緻密に、丁寧に描かれていきます。

 

この物語で秀逸なのは、椿が卜部を「性の対象」として意識しているのが明確であることです。抱きしめたい、できればキスをしたい、できればもっと先のことをしたい、と椿が思っていることが彼の夢という形で表現されます。恋愛というのは「性愛」を伴うものです。高校生であるなら、彼女ができたら早く実際に体験してみたいと思うのは当然でしょう。しかし、この当たり前とも言うべき描写がアニメでは出来ない。生々しすぎるからです。ギャグにして乗り切るのが関の山。ところが、この物語は「よだれで通じ合う」ことを契機にそれを易々と乗り越えていきます。

 

f:id:officeplaton:20130130084540j:plain

 卜部美琴は非常にクレバーな女の子です。彼氏である椿が自分をそのような対象として見ていることを承知しており、しかもそれを別な形で満足させます。キスどころか体に触ることも許さない代わりに、自分たちだけが通じ合える方法で、椿を誘導していきます。卜部は数々のエロティックな仕掛けを用いて、恋愛におけるあらゆる場面に勝利します(上のキャプ画は第7話。この姿を椿は見ることができない)。椿は卜部に敗北し、忍従するしかない。そして調教・馴化されていきます。もちろん視聴者も。

 

しかし、この敗北のなんと甘美なことか。卜部は繰り返し「絆の強さ」を椿に証明します。自分の彼氏はあなたしかいない、と。それは二人にだけ分かる特別な方法で椿に伝えられます。椿(=視聴者)の想像を遥かに超える濃度で卜部の思いは迫ってきます。そして与えられる甘いご褒美。椿も自分の彼女は卜部以外にありえないことを毎回のように心に刻んでいきます。「その発想はなかった」とは良く知られたネットジャーゴンですが、まさにその連続でした。

 

二人は恋愛をしているカップルとして、徐々にお互いを知り、影響を与え合っていきます。卜部にも変化が訪れます。そのたびごとに、また二人の結びつきは強くなっていきます。二人の心情の変化が様々な比喩、演出によって緻密に描かれていきます。物語では一貫して、椿と卜部の「愛している」が変奏曲のように次々とアレンジされて提示されます。最初から最後まで、「愛している」「好きだ」としか彼らは言っていない。そこに卜部の大胆な仕掛けが加わる。結果、『謎の彼女X』は純愛とエロスの両立というアクロバッティックな冒険に満ちた野心的作品となったと思います。

 

4.「あの頃」に引き戻す装置

f:id:officeplaton:20130130084239j:plain

明確な時代設定のない話です。携帯電話のない世界。しかし、明確に「ない」とは言ってない(「ない」ことの証明は難しいわけで)。正確には「使っているところがない」と言った方がいいかもしれません。

 

-携帯電話の普及率は1998年に50%を超え、2003年に90%を超えています。高校生が当たり前に携帯電話を使うようになったのは、この5年のあいだでしょう。

 

また、主人公の椿明の部屋には「2001年宇宙の旅」(映画・1968年公開)や「スターウォーズ」(映画・1977年公開)のポスターが貼ってあり、アニメ「ビッグ・オー」(1999年)のフィギュアが置いてあります。おそらく原作者である植芝理一先生のご趣味かと思われますが、不思議な空間です。他にも、ポラロイドカメラ(上のキャプ画は第6話)、公衆電話などが登場します。

 

原作の絵柄を引き継いでいるため、個々のキャラクターのデザインがひと昔以上前の雰囲気をかもし出しています。いわゆる「萌え」が定着する前のデザイン。卜部美琴は萌えキャラの「男の子に都合のいい女の子」ではない。そのような女の子が「私があなたの彼女だよ」とさらっと言うわけですから、そのインパクトには絶大なものがあります。

 

視聴者はいつでもいい、自分の好きな時代にこの物語を設定できます。登場するアイテムはどこか懐かしさを覚えるものばかり。自分の青春時代でいいのです。私も思わず自分の青春時代に脳内設定して楽しんでいました。まだ携帯電話が普及していなかった頃を覚えている方(たぶん深夜アニメを観る方はほとんどその年齢だと思います)は皆そのようにして楽しんでいたのではないでしょうか。

 

 5.失われた青春が、そこにある

みなさん(と、突然話しかけますが)、ご自分が高校生のとき、「彼女」はいましたか? 私はいませんでした(キッパリ)。好きな女の子はいましたね。

 f:id:officeplaton:20130130094631j:plain

『謎の彼女X』はほぼ椿明と卜部美琴の二人のみでストーリーが完結します。非常に濃密な物語です。懐かしい意匠をまとった画面に強烈な磁場が発生し、思わず「あの頃」に引き戻されていきます。私は強く自分の青春を意識させられました。たいしたことはなかった青春時代です。実にどうでもいい、ありふれた青春でした。

 

たいていの青春というものは、たいしたことはない。華やぎがあってもそれは一瞬のことでしょう。おおかたの時間は無為に過ぎていったはずです。しかし、この物語に一体化した途端、その記憶が上書きされていきます。椿明は自分だ。その自分は卜部美琴という美人の彼女を手に入れ、そして強い絆で結ばれることになる。この作品に接するとき、椿を通して私たちは卜部を体験することができる。たいしたことのなかった青春がまぶしい彩りをまとい、姿を変えて現れてくるような思いになることができます。

 

卜部は普段、素顔を見せません。長い前髪に両目が隠れています。可愛い素顔を見せるのは椿に対してだけです(上のキャプ画は第11話。この表情は椿しか見ることができません)。視聴者である私たちは、椿と一体化し、「自分だけの卜部」を持つことができます。卜部の可愛らしさを知っているのは自分だけなのです。卜部の過去は一切明かされません。たった今、自分の目の前にいる卜部がすべてです。卜部美琴は他の誰でもない、自分の彼女です。

 

卜部は、かつて私が好きだった女の子にかけてもらいたかったセリフをなんの躊躇もなく口にします。「私があなたの彼女だよ」「さ、一緒に帰ろ」「私たちにはこんなに強い絆がある」「私の彼氏はあなただけだよ」などのセリフの持つ、なんと甘い響き。自分の青春時代と重ね合わせて思うと、卜部と椿の関係がほほえましくもあり、ねたましくもあり、憧憬に似た気持ちを抱きました。

 

「失われた青春が、そこにある」とは、講談社の編集者の方がイベントで仰っていたことばです。これを聞いて、作品のすべてを見通すことができるように思いました。自分の、あのつまらない青春は卜部によって書き換えられる。物語を受容することを認め、卜部美琴を知っていくことで青春の形も色も書き換えられていく。卜部はゆるぎない愛を持って接してくれます。ちょっとエロティックなのもうれしい。夢のようではないですか。

 

f:id:officeplaton:20130130215258j:plain

 オープニングで、卜部と椿が学校をさぼって海にいくシーンです。輝くような二人の笑顔。そこにかぶさる素晴らしい楽曲。吉谷彩子さんの透明感のある歌声。毎回、ここの場面で涙が零れ落ちるのを抑えることができませんでした。失われた青春が、そこにある。どんなに望んでも取り戻せない青春が、きらめきを伴ってよみがえってくるとき、人は涙を流すものだと知りました。

 

 6.話数で好みのもの

脚本・演出・作画すべてにおいて、毎回高いレベルで安定していました。ストーリーのうえでも作画のうえでも「お休み回」がなく、どれを選んでもいいくらいですが、この作品の魅力を特に良く伝えていると思われる3話を選びました。まだご覧になっていない方もいらっしゃると思いますので、ストーリーの詳述は控えめにしました。

 

第2話「謎の絆」

脚本:赤尾でこ 絵コンテ:渡辺歩 演出:所俊克 作画監督:磯野智

f:id:officeplaton:20130130225006j:plain

驚きとエロティックな仕掛けに満ちた回。上は卜部の「必殺技」が発動するシーンです。この話数で「このアニメは何をやるのか」が明らかになったと思います。ふたりの恋愛関係は卜部によって主導される。椿は卜部との関係を進めたい。しかし、卜部は体に触れることすら許してくれない。椿はこれでいいのだろうかと悩む。そこに卜部はひとつの解答を与えます。「私たちには絆がある」と。それをこれ以上確実なものはないという方法で椿に教えます。

 

f:id:officeplaton:20130130230610j:plain

廃墟となったアパートで卜部が全裸になるシーン。椿は目を開けることを禁じられています。廃墟、そして蟻が群がる昆虫の死体。それと対比され強調される卜部の肉体。ほとばしる生命力、そして力強さ。性愛とはまさに生きる力であることをまざまざと見せ付けてくれます。エロスとは何かをこれほど明確な形で表現した作品はなかなかないのではないでしょうか。

 

f:id:officeplaton:20130131030422j:plain

落としどころが実にチャーミングです。卜部は椿に永遠に勝ち続けるであろうことを示したラストシーンの一部です。椿(=視聴者)は、卜部の謎を教えてもらうことはないのです。少しずつ、ご褒美を与えられながら、彼女に馴化されていくしか方法はない。そのご褒美はベタなほどに甘い。このカットを含む一連のシーンの完成度の高さ。演出が素晴らしい。「あのね、椿君」から始まるセリフは完璧(吉谷さんの「サ行」の発音が素敵です)。

 

第6話「謎のステップアップ」

 脚本:赤尾でこ 絵コンテ:若林信 演出:江島泰男 作画監督:高橋瑞香

作画監督補:をがわいちろを 中村晃太郎

f:id:officeplaton:20130131022552j:plain

 この作品はスタッフがかなり豪華でした。渡辺監督以外の方が絵コンテ・演出を担当されたなかで私が最も好きな話数です。折り返し地点にふさわしいエピソードを、密度の濃い脚本、的確な演出で表現していました。

 

卜部は基本的にあまり表情のない女の子ですが、この回は様々な感情を見せてくれました。第4話で得た唯一の同性の友人・丘歩子にからかわれて顔を赤らめる。上のキャプ画は椿から初めて下の名前で呼ばれて振り向いたときの表情です。可愛い。卜部の素顔の表情はシリーズ全体を通して常に力が入っていました。ヒロイン超特化型アニメであったといえるでしょう。

 

f:id:officeplaton:20130131025322j:plain

 ポラロイドという懐かしいアイテムが出てきます。使い方が巧みでした。嫉妬・悲しみなどのマイナスの感情から、一気に反転し、椿が自分の彼女は卜部だけだと語るシーンは感動的でした。

 

f:id:officeplaton:20130131025703j:plain

そのポラロイドで撮られた卜部の表情。軽いいたずら心が可愛い。これは卜部にとって、彼氏である椿にしか見せない表情。二人の距離が縮まり、より濃度の高い後半の話へとつながっていきます。卜部が嫉妬し、そこからこの表情へと至る脚本、演出が素晴らしい。椿の誠実さ、優しさに共感を覚えました。

 

 第8話「謎の感覚」

 脚本:赤尾でこ 絵コンテ:渡辺歩 演出:所俊克 総作画監督代理:鎌田晋平

総作画監督補:薮本和彦 板垣彰子 作画監督:磯野智 赤尾良太郎

f:id:officeplaton:20130131053948j:plain

後半は濃厚な話が続きますが、これはそのなかでも白眉。「ハイレベル」とは、放送中にネット上に飛び交ったことばですが、これはまさにハイレベルでした。後から知ったことですが、渡辺監督は原作のこのエピソードを是非やりたかったのだとか。納得の回です。

 

f:id:officeplaton:20130131054156j:plain

この話数では、ほぼ椿と卜部しか出てきません。椿の姉と丘がそれぞれ1シーン出てくるのみ。思春期のカップルにありがちな危うい瞬間をとらえた、切なくてエロティックな話数です。脚本、演出、作画、音響のすべてが二人の関係のわずかながらも重大な変化を丁寧に描き出していました。

 

f:id:officeplaton:20130131054554j:plain

f:id:officeplaton:20130131054737j:plain

この話数では、卜部に大きな変化が訪れます。自分の中にある女性としての魅力を好きな異性に発見してもらえた悦びと恍惚、そしてそれがもたらすであろう性愛へと踏み込むことに対する恐れ。卜部は椿によって「感覚が変わる」体験をします。これらすべてを「耳をつかまれると涙が出るようになる」ことで表現している。ラストで椿に耳をつかまれて涙をこぼす卜部の表情がエロティックでした。好きな人から感覚を変えられることを丘から聞いた卜部のひざがくいっと動くカットがありますが、巧みな表現だと思いました。

 

ところで、なぜこの名作が知られざる作品となってしまったのか考えてみました。

 1.ハイレベルということ。

 第1話のハードルがかなり高い。ここで視聴を打ち切ってしまった方は相当数おられることと思います。ダメな人にとっては徹底的にダメでしょう。悪趣味に思われた方も多いかと。そこを乗り切れたら、あとは甘酸っぱい純愛のストーリーが待っています。

2.古臭い感は否めない。

 いわゆる「萌え」という概念が一般化したのは2000年に入ってから。この作品はそれより以前の絵柄。キャラを見て「可愛くない」と感じ、設定のトリッキーさについていけないあまり嫌悪感を抱いてしまう方は多かったのではないかと推測します。

 

f:id:officeplaton:20130131055818j:plain

以上です。お読みいただいてありがとうございました。他の記事もお読みいただければ、うれしいです。